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1 お知らせ 1-1 イベントのお知らせ

創作劇「きょうも隣に山頭火」のお知らせ

種田山頭火記念年事業実行委員会の主催、熊本県文化協会一般財団法人熊本公徳会の共催で、創作劇「きょうも隣に山頭火」が開催されます。

種田山頭火(本名:種田正一)は自由律俳句で代表的な俳人です。山頭火は1916(大正5)年、34歳のときに妻の咲野と息子健とともに来熊し、熊本市下通に古書店「雅楽多(がらくた)」(後に額縁店)を開業しました。当公演はこの雅楽多を舞台に、山頭火と家族、友人との交流を中心に描いた創作劇で、演劇や音楽、声楽、日舞、映像を交えて表現されています。

また、作家の五木寛之さんによる特別講演会「放浪と定住」も開催されます。皆様のご来場をお待ちしております。

なお、当公演は第63回熊本県芸術文化祭に参加しています。

  • 名称
    • 「きょうも隣に山頭火」
  • 日時
    • 2021年10月02日(土)
      • 12時30分 開場
      • 13時00分 五木寛之特別講演会「放浪と定住」
      • 14時45分 創作劇「きょうも隣に山頭火」
  • 場所
  • 入場料
    • 前売3,500円(税込)
    • 当日4,000円(税込)
    • 全席自由
  • お問い合わせ
  • チラシ(PDF)

新型コロナウイルス感染症対策と来場される皆様へのお願い

  • ご来場時、ご鑑賞時においては、常にマスクの着用をお願いいたします
  • 会場入口の検温で、発熱の症状がある方のご入場をお断りする場合がございます
  • 当日発熱、咳、くしゃみ、全身痛、下痢などの症状がある場合は、ご来場をお控えください。また、ご入場をお断りする場合もあります
  • 会場にて万が一体調が悪くなった場合、我慢なさらずに速やかにお近くのスタッフにお声かけください
  • 新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、来場者記録を行います。事前にチケット裏面に連絡先をご記入の上、ご来場をお願いいたします
  • 主催者の都合により興業が中止されない限り、料金の払い戻しはいたしません

主な登場人物と出演者、制作スタッフ等

山頭火浜畑賢吉
春日保人
妻 咲野山本真由美
息子 健(子供時代)村山歩佑
息子 健(大人時代)高浜海斗(二役)
句友 友枝寥平下司愉宇起
木庭市蔵桑路ススム
大山澄太田川智則(二役)
小料理屋の女将福島竹峰
高濱流光華々
電気館 窪寺喜之助出田秀尚
農婦井芹誉子
歌人の群 安永信一郎徳冨敬隆(二役)
歌人の群 西本静樹丸山幸介(二役)
歌人の群 茂森唯士芦刈剛信
歌人の群 工藤好美田川智則(二役)
古川某浦上健二
師範学生徳冨敬隆(二役)
高浜海斗(二役)
丸山幸介(二役)
道行く人兼武尚美
木村久美子
田中浩子
町内の子松尾雅宗
兼武佳凛
勝谷陽仁
ピアノ小野田美緒
ヴァイオリン柴田恵奈
井上智重
監修浜畑賢吉
制作統括小川芳宏
作曲出田敬三
演出堀田清
音楽デザイン春日信子
舞台監督西山広成
舞台美術吉本政弘(吉本美術)
照明色川伸(ステージ・ラボ)
音響菊本明
衣装村木美保
飯冨美雪
井芹誉子
小道具椎葉みず穂
浦上建二
丸山幸介
メイク酒井陽子
着付け森山純子
方言指導小野登美子
委員長小野友道
副委員長河村邦比児
副島隆

《プロフィール》五木寛之(作家)

1932年、八女市生まれ。早稲田大学露文科中退。「さらばモスクワ愚連隊」で鮮烈デビュー。「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。「デラシネの旗」「内灘夫人」「朱鷺の墓」「青春の門」、そして「蓮如」「親鸞」など著書多数。「大河の一滴」がコロナ禍のもと再び注目される。

チラシ「きょうも隣に山頭火」
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1 お知らせ 1-1 イベントのお知らせ

創作舞台「青柳」東京公演のお知らせ(終了)

創作舞台「青柳」東京公演は終了しました。

熊本で満員の観客を迎えて公演した創作舞台「青柳」を、ハーン終焉の地「新宿」で公演いたします。

創作舞台「青柳」は、比較文学の第一人者平川祐弘東大名誉教授が小泉八雲の「怪談」から「青柳の話」「十六桜」「乳母桜」を素材に書いたオリジナルの台本「夢幻能青柳」をもとに、熊本の「能」「日舞」「演劇」で構成した創作舞台です。

同時に、平川祐弘東大名誉教授による講演、熊本と富山の研究者による研究発表と討論も開催いたします。

演出/大江捷也、演出補/堀田清、出演/観世流能楽師菊本澄代、日本舞踏家高濱流光華々、熊本演劇人協議会の皆さんによる創作舞台「青柳」の東京公演、皆様のご来場を心よりお待ちしております。

共通情報
研究発表と討論 10:00~
  • 題目 「熊本・富山発 新発見による小泉八雲新考」
  • 出演 マリ・クリスティーヌ、千田篤、西川盛雄、西槇偉、井上智重
昼の部 13:00~ 入場券6000円 全席自由席
  • 講演 「八雲と漱石 そのライバル関係」 平川祐弘
  • 公演 創作舞台「青柳」
夜の部 18:00~ 入場券6000円 全席自由席
  • 講演 「八雲と漱石 二人の『怪談』の関係」 平川祐弘
  • 公演 創作舞台「青柳」
創作舞台「青柳」あらすじ
 熊本の五高教師として赴任してきた小泉八雲ことヘルンは、学生らを伴い、若葉の美しい季節、水前寺成趣園にやってくる。そこで学生岩木三四郎に出会う。茶屋の娘が桜の木の下で妖しく舞う姿に三四郎は魂を奪われる。実は三四郎は友忠という若侍の化身。
 二場は能の舞台。細川公の縁者の大名に仕える身で、主君の命で細川公のもとに急ぐ途中、吹雪に遭い、一軒家にたどり着く。そこには老夫婦と年若き娘、青柳がいて、友忠と青柳は惹かれあう。青柳を伴い、細川公の許しも得て、二人が仕合せな日々を過ごすが、ある日、青柳が「いま、私は死にます」と叫び、死に絶える。
 三場は、花岡山の麓。三四郎が出征することになり、八雲も駅で見送るため、同行する。途中、三本の切り株がある。二本の柳の老樹と一本の若い柳の切り株であった。友忠の妻となった青柳は実は木の霊であった。三四郎は念仏を唱え、八雲も合掌する。
 「怪談」の中から「青柳の話」「十六桜」「乳母桜」に「大和物語」の葉守の神の歌、ミュッセの墓碑銘の詩なども題材にしている。

 

チケットの申し込み・お問い合わせは創作劇「青柳」東京実行委員会(お菓子の香梅内)まで。

  • TEL:096-366-5151
  • FAX:096-372-1857
  • メール:こちら(←クリックしてください)
詳しくはこちら(PDF)こちら(専用サイト)もご覧ください。

創作舞台「青柳」東京公演チラシ
創作舞台「青柳」東京公演チラシ

創作劇「青柳」東京公演実行委員会

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3 アイルランド 3-1 アイルランドの魅力

歩く

植田義浩(熊本朝日放送株式会社代表取締役社長)
2009年熊本アイルランド協会忘年会卓話
熊本交通センターホテル6F椿の間

 私にとりましてアイルランドと聞きますと、ほろ苦い青春時代を思い出します。今は鬼嫁に変わり果てましたカミさんが、学生時代の一時期ギター部に入っていまして、ギター伴奏をつけながらアイリッシュララバイというアイルランドの子守唄を歌ってくれたことがありました。当時は学生運動、学園封鎖、北アイルランド運動が盛んで、IRAが武装運動をやっていた時代でもありました。イギリスとアイルランドが大変に緊張している、そんな時代に当時は若くて優しかったカミさんがアイルランドにはこんなに優しい子守唄もあるよ、といって弾いてくれたものですから、そんなこんなで、ついコロリといかれてしまって、前後の見境無く学生結婚してしまったのです。後悔先にたたずとはよく言ったものです。

 また学生時代に演劇の好きな連中が、アイルランド人のサミュエルベケットの名作「ゴドーを待ちながら」を学生会館でやろうということになりました。私は当時美術専攻でしたから、「おまえ大道具をやれ」と。ところが、ベケットの「ゴドーを待ちながら」の大道具なんて作れるわけがないのです。今なら、あの難解なベケットなど恐れ多くて手を出さないのですが、若さとはおそろしいものでやってしまったのです。結果はもちろん散々でした。みんなに大笑いされました。自棄酒はもちろん格好をつけてアイリッシュウイスキーでしたと言いたいのですが、実はサントリーレッドでした。当時はアイリッシュウイスキーは高額の花で、とても飲めませんでした。ですから、一般にアイルランドといえば「ギネスと羊と妖精の国」のキャッチフレーズですが、私にとってのアイルランドは「鬼嫁とベケットとアイリッシュウイスキー」の国なのです。

 6月に熊本に赴任してきましたが、毎晩夜な夜な出没しては飲み屋横丁を徘徊しております。いろいろ見つけました。そうしましたら、非常に美味しいアイリッシュウイスキーとギネスの生を置いているバーを見つけました。ブッシュミルズやタラモアディューといったシングルモルトの本格的なアイリッシュウイスキーを飲ませてくれる洒落たカウンターバーが銀座通りにあります。その店でこんなことを書いてある本に出会いました。アイルランドで地元のバーに入ったときの話です。その一節をちょっと読んでみます。

 店に入ると亭主にYOU NEED CUBE?(氷いるかい)と尋ねられる。NO THANKS WITH JUST WATER PLEASE(いいや水だけ)と答える。亭主はうむうむという顔でにっこり微笑む。大振りなグラスにアイリッシュウイスキーがたっぷりダブル入ってくる。その隣には小さな水差しに入った水が付いてくる。もちろんタップウォーター(水道水)だ。ミネラルウォーターなどという無粋なものは出てこない。タップウォーターのほうが生き生きとしてずっとうまいのだから。

 これは村上春樹さんのエッセイの一部です。どうですか、うまそうでしょう。アイリッシュウイスキーを米焼酎に置き換えて読むと、まるで熊本みたいでしょう。熊本の水の美味しさは全国的にもすばらしいレベルですが、アイルランドの水も負けず劣らずうまいそうで、ギネスを作っている水は確か「女神の水」という名前まで付いているそうです。本確的な蒸留酒に、飛び切りうまい水道水をチェイサーとして飲めるのは、世界広しといえども熊本とアイルランドぐらいしかないのではないでしょうか。そのBARで聞いたのですが、かつては熊本にも本格的なアイリッシュパブ(スライゴーという名前)があって、ソーダブレッドやアイリッシュシチューを食べさせてくれたそうです。今その店は大津に移転していると聞いて行ってみました。どうやって再度その店まで行きつくか、それが今日の本題です。

 本題に入ります。私の趣味は酒と温泉と歩くことです。歩いて、疲れて、温泉に入って、酒を飲む。こんな楽しいことはありません。昔は走っていましたが、今はもっぱら歩き専門です。金もかからず道具も要らず何時でもできる。歩く事にかけてはかなり年季が入っています。19歳の夏のときでした。大学受験にことごとく失敗し、予備校に行かず、暇を持て余していました。ふと思いついたのです。東京から九州小倉の実家まで歩いて帰れば暇つぶしが出来るし、その間は勉強しなくてすむ。そう思ったら早速実行。アルバイトに精を出して、テントやキャラバンシューズなどのキャンプ用品を買い込み、わずかの現金を握りしめて友人と2人、東京・萩窪を出発したのが7月12日でした。大菩薩峠を越え、上高地を抜け、白骨峠あたりでキャラバンシューズがボロボロになってしまいました。最初のうちはかかとに血が滲み、マメの上にマメができて膿が出ます。ですが一週間くらいで綺麗に治ります。日本アルプスを横断して大垣に入り、関が原を抜けて、当時出来たばかりの琵琶湖大橋を渡って、比叡山を夜中に越えて京都に入りました。当時友人が京大に通っていましたのでその寮に転がり込み2~3日休んで体力を付けて、そこからまた、山陰の旧街道つたいに日本海に沿って松江、津和野、山口を経て九州に入りました。この間に乗った乗り物は、関門海峡の人道用エレベータだけ。泊まったところは橋があれば橋の下、駅があれば待合室、何も無ければテントでした。こじき同然の格好で小倉に着いたのが8月27日でしたから45日かかって歩きとおしたことになります。歩いた距離は、1200キロ。さすがに親はあきれ果てて文句も出ませんでした。歩いた距離は1200キロでしたけれども、良くやったなと思いました。歩く事で自信に繋がりました。

 類は友を呼ぶといいますか、ちょうど8年前に小倉に帰省した時に、小倉高校の友達が100キロウォークを始めたからお前も出てこいと言ってきました。ただ単に歩くだけ。制限時間27時間以内に行橋から歩き始めて別府まで、単に歩くだけ。順番は関係ない。3つルールがあって、まず、信号を守ること、歩道を歩くこと、3つ目は競争をしないこと。なぜかというと競争してしまうと体に悪いです。100キロ歩くのでも体に悪いに決まっています。それから走らない事。50~60歳は膝にきます。その他にチェックポイントを必ず通ること。無断リタイアしないこと。きつい時はやめてください。いつでもサルベージに行けます。これを守ってください。ということなどです。

 何故100キロウォークをはじめたかというと別府で高校の山岳部の先生が、今どきの若い子ども達が今の体力では冬山などに行ったら絶対死んでしまう。絶対鍛えなければいけない。どうして鍛えたらいいかというと、歩かせる。それでその先生は有名な登山家(戸高雅史:プロ登山家 大分県出身 マッキンリー単独登頂)で高校生の教育の一環として13年間子どもたちに100キロ歩かせてきました。

 友達がその話を聞いて、私も一緒に歩かせてくださいと・・・ところがその先生が別府を辞めて東京に移ったものですから、その会が解散することになりました。それで私の同級生達がそれはもったいないと、自分たちでそれをやろうとなりました。最初は約40人の方々と歩き始めました。その友達が小倉高校の同級生で当時小倉東ロータリーになんと7人いまして、力を合わせてみんなの社会の健康のためになるし、これをポリオ撲滅の社会運動の一環にしようと自分達で勝手連を作って始めました。それをロータリークラブの方が非常に応援してくださって軌道に乗り始めました。そうすると、はじめは44人で始めて、私が参加し始めたのは3回目からでしたが、その時で150人でした。ところがこういう時代ですから、健康志向なんでしょうか。150人があっというまに200人を超え、200人が300人を超え、300人が600人になり、実は今年3500人でした。最高年齢は85歳です。80歳以上が4名、そのうち3人が完歩です。3000人くらいいますと、27時間以内でどのくらい完歩できるのは大体半分です。最初は6割リタイア4割完歩でした。でも今はウォーキングブームですので逆に6割の方が完歩されます。ただ、半端ではありません。足は痛いです。爪は破れます。マメはできます。途中の国東半島の付け根に3つ峠があります。丁度、宇佐神宮を出て10キロくらい入ったところから峠が始まります。12時に歩き始めて夜中の2時~3時に山がでてきます。これは辛い。行けども行けども坂です。一つ終わるともう一つあります。

 そこに行きますと七曲りといいましてとても急な坂があります。真っ暗で誰も助けてくれない。いつ辞めようか、何でこんな馬鹿な事をしているんだろうと思いながら歩いています。中には足が痛くて後ろ向きに歩いている人もいます。あるいは、足をひょこひょこしながら歩いている人もいます。そのくらい辛いのです。でも、人間とは不思議なもので、最後の15キロのチェックポイントになるとゴールが見えてきます。別府湾からぐるっとまわって別府市が見えてきます。そこまでくるとそんなにリタイアする人はいません。なんとか行けるようになります。ただしそこまでの間が一番辛いし、睡魔との闘いと足の痛さと腰の痛さこれはどうにもなりません。ただこれを超えると多少足の裏にマメができてもすぐ治ります。爪が剥がれます。でも半年で治ります。一番いけないのは腰とか膝とかアキレス腱とかこの辺の痛さをあまり我慢すると後で体の軸がいかれます。これは自分ではここがきたときは止めようと思っています。おかげさまで7回完歩することができました。その中で歩いていて一番面白かったのが3つほどあります。

 一つ目は大腸がんと、肝臓がんをやり俺はもう死ぬんだという・・・しかし最後に死ぬ前に何か一つ残して死にたい。歩いて死にたいという馬鹿がいました。それで私の友達がじゃあみんなでそれをサポートしよう。彼の荷物はみんなで持とう。100キロですからいろいろ着替えも必要です。水も必要です。ところが3回も4回もがんをやっていまして、高血圧・肥満。この男がどうしても歩きたい。根性だけはある男ですから一生懸命練習をしまして本番に臨んだのですが、あと15キロくらいというところで倒れました。何でかというと低血糖でした。我慢して食べないでいたと。そこで一緒に歩いていた友達の医者が「ばかやろう!」とチョコレートを食べさせ、バナナを食べさせ、パチパチとやりましたら生き返りました。そこから歩き始めて制限時間5分前に到着しました。その男は嬉しくて泣いていました。

 二つ目がそういったことをボランティアでやっている可愛い女の子がいまして、その子が私もどうしても歩きたいと。みんなで車椅子を補強して、平地はその子が押して、峠は私たちが引っ張って、それも制限時間ギリギリでクリアしました。

 三つ目は不登校といいますか二十歳にもなって家でプラプラしている息子を連れて私の友達の某会社の役員が一緒に歩きました。息子リタイア親父完歩。息子がどうしたかといいますと、もう一年やりました。完歩して立ち直りました。親父のそれを見ていて。すごいなと思いました。

話がずいぶんそれましたが、私、熊本にきまして歩く仲間を募集しております。何故このよう話をしたかというと、キルケニーの生、ギネスの生を飲ませるアイリッシュパブが大津に生き残っている。経営者の心意気が何より志が嬉しい。潰してしまってはフィッシュ&チップスもクラムチャウダーもありつけなくなる。そこで一つ考えました。ウォーキングの終点をここにすれば良い。駅にも近いし、何より大津温泉と菊陽温泉が近くにある。それには「歩いて行ってやろう」というのが今日の結論です。どうやって行くか? コースが3つあります。

1コース オーソドックスコース(花畑基点約15km・3時間)
水道橋を渡って白川沿いの土手を歩いて小磧橋渡る。(大体40分)→旧57号線に沿って→武蔵塚公園で一休み。(1時間25分)→鉄砲小路→菊陽温泉(400円)→三里木→大津(JR)→スライゴー

2コース 多少きつめ(30km・6時間)
水道橋→水前寺→江津湖→沼山津(四時軒)→秋津川→グランメッセ→白川土手→大津温泉→スライゴー
いい景色です。日本有数。特に、江津湖の端から端までと秋津川が非常に綺麗。今はちょうど鴨もいるし、ひょっとしたら白鳥もいます。さらに、白川も北の方はとても綺麗です。

3コース 1と2の真ん中
黒髪→立田山→運動公園→白川土手→原水の温泉→大津(JR)→スライゴー

 キルケニーかギネスを飲んで、クラムチャウダーをおかずにして、あるいはフィッシュ&チップスを食べて帰る。安いですよ。JR400円・温泉400円・アイリッシュパブが大体2500円です。ゴルフに比べるとこんないいことはありません。ということで歩きながら、一生懸命Irish dishesをやってくれている店を熊本から消してはいけないと思っておりまして、私なりに私設応援団を作りながら私の趣味と実益を兼ねてこれからやろうと思っております。

 ご希望の方は是非ご参加いただきたいと思います。私、新参者ではありますがKABで電波を通して県の皆様方にいい情報をお伝えしていけたらと思っております。

植田義浩氏(2009年12月19日)
植田義浩氏(2009年12月19日)

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2009年度熊本アイルランド協会忘年会

2009年12月19日18時から、熊本交通センターホテル6F椿の間にて、2009年度熊本アイルランド協会忘年会が開催されました。
開催に先立ち、熊本朝日放送株式会社(KAB)代表取締役社長植田義浩氏より、「歩く」と題して卓話を頂戴いたしました。
懇親会は会長の副島隆氏の挨拶に始まり、会場1番乗りされた名誉会長の中島最吉氏に乾杯の音頭をとっていただきました。
食事と歓談をしばらく楽しんだ後、相津美幸氏がフラ(ダンス)のインストラクターを務めていらっしゃるご縁で、吉永フラ・タヒチアンダンススクール様にフラ3曲とタヒチアンダンス2曲を披露され、さらに日本ケルト協会の会員でもある森下博晴氏とアイリッシュ・クリームメンバーの本間康夫氏によるアイリッシュダンスの初歩のステップについてご教授いただきました。

吉永フラ・ダンススクール1(2009年12月19日)
吉永フラ・ダンススクール1(2009年12月19日)

吉永フラ・ダンススクール2(2009年12月19日)
吉永フラ・ダンススクール2(2009年12月19日)

本間康夫氏(2009年12月19日)
本間康夫氏(2009年12月19日)