2019年(第21期)市民講座のお知らせ

1891(明治24)年五高に英語教師として来熊し、当時の青年に多大の影響を与えたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を通して熊本とアイルランドは深い関係にあります。熊本アイルランド協会は関係各界の協力を得て1998(平成10)年以来「ハーンと熊本」、父の祖国である「アイルランドの社会と文化」などの市民講座を20期(110回)にわたり主催してきました。そこで21期・2019(平成31)年は「ハイクロスの祈り:ケルト(アイルランド)の品格」をテーマに開講します。

聖パトリックがキリスト教を携えてアイルランドに来る以前から、このケルトの地にはドルイド教という太陽を拝し、自然を思う土着の宗教がありました。聖パトリックはこれを大切と思って杓子定規な宣教はせず、土地の人々に愛されるキリスト教を根付かせました。かくして大陽を思わせる円環と十字架の合体したアイルランド独特のケルト十字架(ハイクロス)が出来上がったのです。しかし後にヴァイキングやイングランドの侵攻を受け、ジャガイモの飢饉などで滅びの淵にまで追いやられますが、アイルランドの人々はケルト魂をもって屈することはなかった。むしろ困難な中に音楽や舞踊、さらに文筆をもって踏みこたえ、人類に大きな貢献をし続けました。ここに私たちは敬意をもってアイルランド(ケルト)の品格を見ることができます。この市民講座ではさまざまなアイルランドの姿を通してケルトの品格触れてみたいと思っています。

なお、受講料は無料ですが、会場により参加費(飲み物とお菓子)や入館料が必要です。詳細は当協会事務局までお問い合わせください。

日程 演題 講師 会場等
5/25(土)
14:00-
アイルランド文芸復興;詩人イェイツの心 西川盛雄氏
熊本大学名誉教授
※1
6/22(土)
14:00-
アイルランド音楽の世界 本間康夫氏
崇城大学名誉教授
※1
8/3(土)
14:00-
アイルランドの地理的現状と日本の地誌書に描かれたアイルランド像 八田茂樹氏
熊本高専名誉教授
※1
9/28(土)
14:00-
調整中 高木朝子氏
熊本高専准教授
※1
10/19(土)
14:00-
ケルトの物語 坂本弘敏氏
小泉八雲熊本旧居館長
※2
12/7(土)
14:00-
ハーン作品の朗読 斉藤幸子氏他
石蕗(つわぶき)の花の会
※1
開講時間はいずれも90分
※1 お菓子の香梅帯山店ドゥ・アート・スペース 参加費200円(飲み物とお菓子)
※2 小泉八雲熊本旧居 当面の間入館料は無料

協力団体:熊本八雲会・小泉八雲熊本旧居保存会・熊本大学小泉八雲研究会・五高記念館友の会・熊本市教育委員会(順不同)

市民講座「アイルランドの音楽」のお知らせ(終了)

市民講座「アイルランドの音楽」は終了しました。

「アイルランドの音楽」と題し、本間康夫氏による市民講座を開講いたします。受講申し込みは不要ですので、お気軽にお越しください。駐車場が少ないため、公共交通機関のご利用をおすすめいたします。

市民講座「アイルランド(人)と日本(人)の比較」のお知らせ(終了)

市民講座「アイルランド(人)と日本(人)の比較」は終了しました。

「アイルランド(人)と日本(人)の比較」と題し、ピーター・フラハティ氏による市民講座を開講いたします。受講申し込みは不要ですので、お気軽にお越しください。

お悔やみのお知らせ

 当協会の名誉会長中島最吉氏が2010年9月2日に逝去されました。

 1993年の当協会設立当初より本日にいたるまでの多大なるご貢献に感謝の意を表するとともに、故人のご冥福をお祈り申し上げます。

 通夜は4日午後6時、葬儀は5日午後1時から、熊本市本荘6-2-9の合掌殿島田斎場(096-363-0123)で執り行われます。

熊本アイルランド協会事務局

ハーンが愛した音楽

本間康夫(崇城大学芸術学部デザイン学科)
2010年(第12期)市民講座「アイルランドの魅力」(5回シリーズの第1回)
お菓子の香梅帯山店 ドゥ・アート・スペース

 本講座を音声(mp3)でお聴きになれます→第1部(8.5MB)・第2部(17.5MB)

 235年にわたる鎖国時代を経て、江戸から明治へ代わり、日本が急激に世界を意識し、近代化の名の下に西洋の文化を輸入した、まさにその時代(1890年・明治23年)にラフカディオ・ハーンが日本にやってきた。音楽教育においても例外ではなく、政治的な意図と、日本人の受容力の高さ?が、合致して、驚異的なスピードで、「西洋の近代音楽だけが、民族を超えて価値のある普遍的体系をもつ」という考え方に染まってしまった歴史に大変興味を覚える。

 日本では1879年(明治12年)に東京藝術大学の前身である音楽取調掛が設けられ、音楽研究および西洋音楽をベースとした音楽教育(唱歌教育)の形成の取り組みが始められた。1881年(明治14年)に「小学唱歌集」初編の出版届け出がなされる。音楽取調掛を率いたのは伊沢修二だが、彼は、アメリカ留学時代、日本が文化的に遅れているとの判断に立った人物で、情操教育としての音楽を国家レベルで国民に教えなくてはならないという理念の持ち主だった。後に近代的な日本美術の形成に力を尽くすことになる岡倉覚三(岡倉天心)は、音楽取調掛の最初期に通訳としてかかわった。

 さらに、米国の音楽教育家であるルーサー・ホワイティング・メーソンの存在を忘れるわけにはいかない。ルーサー・メーソンは、メイン州のターナー生まれ。アメリカ各地で長年音楽の教師を勤めた。おもに独学で音楽教育を確立し、歌の収集を行い、音楽教科書と音楽の掛図を公刊し、音楽教育の革新に成功した。合衆国では主に初等音楽教育の第一人者であった。1864年から1879年のボストン滞在時代に、合衆国に留学していた文部省の伊沢修二に唱歌の指導をしたのが縁となり、1880年に明治政府に招聘され日本に渡った。メーソンは音楽取調掛の担当官(御用係)となった伊沢とともに、音楽教員の育成方法や教育プログラムの開発を行った。「小學唱歌集」にも関わった。日本にピアノとバイエルの「ピアノ奏法入門書」を持ち込んだのもメーソンである。メーソンは岡倉天心とも親しかったという。メーソンは日本の西洋音楽教育の基礎を築いたのち、1882年に日本を離れた。メーソンは滞在の延長を望んだが、おもに予算の都合でその希望はかなえられなかった。

 メーソン離日後、しばらく後任はいなかった。1883年(明治16年)6 月からは、かねてより海軍軍楽隊教師として滞日していたエッケルト(ドイツ)が、音楽取調掛を指導するようになる。日本のドイツ音楽偏重志向はこのときから始まると言えるかもしれない。音楽取調掛は一時音楽取調所と称されるが、またすぐに元に戻る。1887年(明治20年)には東京音楽学校に昇格した。のちに滝廉太郎がドイツへ留学し、日本人による初の西洋音楽の様式による作曲が行われる。滝が世に出した器楽曲はピアノのためのメヌエットと憾みの2つであった。滝は帰国後に多くの唱歌を作曲するが、結核により夭折してしまう。(引用:Wikipedia)

 教育において西洋音楽一辺倒になった理由は、大きく分けて次の二点に絞ることが出来るかもしれない。その第一は、音楽の国際的な性格を余りに強く過信したこと、第二は、教育の体系を作った人々が本当には伝統音楽を正しく認識していなかったことである。

 日本の音楽というイメージからすれば、三味線とか、筝、尺八、琵琶という楽器を使う江戸時代の音楽の方が、雅楽よりももっとぴったり来るかも知れない。それに日本の雅楽と歴史的に関係があり、非常によく似た音楽は、韓国、台湾、ベトナムにもある。だから、雅楽は、日本の代表的な音楽と云い切ることは出来ないし、日本だけにしかない、いわゆる日本独特の音楽でもないのである。

 来日以降のハーンは、日本民族の感情を知るうえで、民俗音楽の比較研究が極めて有効である、という立場を鮮明に打ち出した。すなわち、雅楽というような宮廷社寺の音楽よりも、鳥のさえずり、蝉の鳴き声と同様に、豊年踊り唄、盆踊り唄、わらべうた等々の、野山に響く民衆の歌の方に、一層深い興味をもったことは事実である。しかし、ハーンがまだ30代の頃、1884年12月から翌年の5月まで開催された、ニューオーリンズ万国産業博覧会の日本関係の展示場で、初めて琴、篳篥、琵琶、三味線その他日本の古楽器を目にした。その部屋には古楽器のほかに、日本語から翻訳された、さまざまの音楽関係の文献も陳列してあった。ハーンを喜ばせたのは、古代ギリシャの音楽と日本の音楽との類似性を指摘し、有名なアポロ讃歌が雅楽の盤渉(ばんしき)調と呼ばれるものに正確に対応する、という伊沢修二の論文だったのである。(引用:「小泉八雲と隠岐」風呂鞏)

本間康夫氏(2010年5月22日)

本間康夫氏(2010年5月22日)

アイリッシュ・クリーム(2010年5月22日)

アイリッシュ・クリーム(2010年5月22日)

市民講座の様子(2010年5月22日)

市民講座の様子(2010年5月22日)