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シングとオケーシーにおけるアイリッシュイズムの一端

2005年11月12日
川野富昭(崇城大学教授)
2005年(第7期)市民講座「アイルランドの社会と文化」(5回シリーズの第4回)
熊本市国際交流会館

アイルランドを旅して考えたこと
 アイリッシュイズムとは何か。実は私もまだ結論に達していません。この二人の作家も一般の人たちにとってはなじみのない名前だと思います。しかし私なりにその魅力とそれにともなうケルトの末裔たちの反骨精神、あるいは気骨というものの一端をお話してみます。

 今年の夏は久しぶりにアイルランドの旅に出ました。普通のグループ旅行と違って「アイルランド伝統音楽を求めて」の旅でした。この国へは4回目になりますが、これまでと比べてさらに興味深いものとなりました。私のケルトへの関心の始まりは小学校のころよく耳にしたアイルランド民謡なのですが、それが今になっておとぎの世界、妖精の住む国への憧憬が高じて、今年は妖精に出会うこと、妖精を捕まえてやろうという魂胆を持つようになったのです。アイルランドに関しては、司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行」がすべてを集約したようなできばえです。彼が見たアイルランドと、私が実際に見たこの国の姿、先に述べた二人の作家の作品に見る、いわゆるアイリッシュイズムなるものを、この旅の感想と写真を交えて最初にお話します。

私の愛蘭土紀行
 この写真1はこの国に行けば必ずお目にかかるケルトの十字架です。ケルト民族はアイルランド人のルーツですが、このように、非常に迫力のある十字架はアイルランド中どこででもお目にかかれます。この十字架がベストだと断言されたのはこの旅行を取り仕切ってくださった守安夫妻でした。おふたりはアイルランド伝統音楽に造詣が深くかなりの実力を持った音楽家夫妻です。

 この写真2は典型的なこの国のトレードマークです。この愉快な交通標識は私がこの国へ出かけて実際に確認しようと思っていた代物です。今回は残念ながらこの標識が見られるケリーまで足を伸ばすことは出来ませんでしたが、幸い小泉凡夫妻から借用することが出来ました。アイルランド人の心の中に必ずあるといわれている妖精への思いがこういう形で現れているのは彼らの民族性の中にあるユーモアの一端を垣間見た気持ちになります。

 この写真3は妖精図鑑の中から引っ張り出したものです。ケルトの妖精の起源は、この国の歴史を紐解くときには必ず出てくるドルイドの中にも見受けられます。女ドルイドのイメージは、鶴岡真弓さんの本にたくさん出ています。この旅の中で私が妖精にこだわっているのにバスのドライバーが同情して「妖精の樹」(写真4)のある場所にバスを止めてくれました。こういうふうに、日本でもよく見かける「願掛け」の樹がかの国にもあるのは興味深い共通点を発掘したような気になります。靴下、手袋、帽子など、いろいろこの樹に吊るして願い事をする彼らの心の中には妖精のイメージが常にあるという証拠でしょう。

 これは(写真5)、道端に作った洞穴に飾られた 聖ブリジッドです。途中で何箇所かこのようなきれいな像を目にしました。その横の小さな祠に入ってみますと、いろいろな貢物が並んでいて、聖水の水溜りには日本で言うお賽銭がたくさん光っていました。このイメージは日本人の感覚にあい通じるところがあって非常に印象深いものでした。

 ここからの写真(写真6)は守安夫妻が取って置きの古城レップ城です。この音楽の旅できわめつきのスポットで、この城の主はショーン・ライアンといういかにもアイリッシュという雰囲気を持った笛の名手でした。奥さんのアン、娘のキアラ・セレーヌと3人並ぶと、きわめて神秘的な雰囲気を醸し出す不思議な家族です。キアラはリバーダンスのオリジナルタップを踏める全国でも有数のダンサーだそうで、この写真にあるとおり実に迫力のある踊りを見せてくれました。彼女のステップで居間の石畳は亀裂が入って凹みが出来ているのです。ライアンの幽玄で妙なる笛の音と、キアラの躍動感あふれるステップに加えて、古城のホールの荘厳な背景がわれわれの心に深い感動を与えたのは当然のことでした。妖精探しの旅の途上にある私としては、彼女はまさしくレップ城のフェアリーであると確信するに至ったのです。ご主人のショーンの腕前は言わずもがなで、皇太子夫妻がアイルランド訪問をなさった時御前演奏を行うほどであったのです。レップ城はBBC放送が取材に来るほどの名の知れた「幽霊城」で、その由来をこの薄暗いろうそくのともる居間で聞かされると、思わず後ろを振り返ったものです。壁には古色蒼然たる絵、骨董品から、はたまた日本の浮世絵まで城主の本性も読める雰囲気でした。

 これらの写真(写真7)は、これまでの旅行で集めた絵葉書をまとめたものです。これは 作家のシングです。ショーン・オケーシーは私の研究のしんがりを務める劇作家です。大学時代の恩師の評価は二流だそうですが評価は相半ばするところです。これは若々しいイェーツですが、これらの写真を並べるわけは不思議と皆妖精顔をしているからです。ワイルド、ジョイス、B・ビーハン等すべて同類に見えます。みな妖精の霊気が漂っているように思えてなりません。

 ビーハンといえば、以前ダブリンの劇場で彼のお芝居を見ましたが、もとIRAのメンバーであったことと、刑務所暮らしで虐待を受けた経験からなるその迫力に圧倒されてしまいました。「ボースタルボーイズ」は彼の刑務所暮らしの一部を描いたものですが、シャワーを浴びる場面では容疑者全員が素裸で、思わずここまでやるかと息を呑みました。彼らが命を賭けた反英闘争の凄みもそこから伝わってくるかのようでした。

 アイルランドといえばアラン島がイメージされます。アラン島のダン・エンガス(Dun Aengusは、馬車のおじいさんの発音によると「ダン・エンガシャ」だそうです)まで行って撮ってきた写真がこれです。我ながらいい写真(写真8)が取れたなと自慢したい一枚です。この断崖絶壁は 「アランの男」という有名な映画の主要な場面を構成しています。1934年、ロバート・フラシャーティー監督作品です。私の写真は素晴らしい好天に恵まれた波静かな一枚ですが、この映画に出てくるアラン島は、ものすごい波濤に洗われ一面荒蕪の島で、その自然の荒々しさに必死に耐える島の人たちの気骨がひしひしと迫ってくる名作の中にあります。

 この写真(写真9)はシングの「アラン島周遊記」に描かれている島の女たちのイメージそっくりの絵だったので写真に収めました。また、アラン島の漁師たちのイメージはこの布張りの小船、カラッハに集約されます。写真10、写真11はその漁師たちの背中、その後姿が男たちの気骨を裏付ける絵といえるでしょう。

司馬遼太郎氏の「愛蘭土紀行」
 ここから司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行」についてお話します。この司馬氏の紀行文とビデオを要約すると、キーワードは、不撓不屈の精神、激しい個性、爪に火をともすような生き様、辛らつな風刺精神、流浪、漂泊、自然との闘い、というところでしょう。不撓不屈の精神の根源はどこにあるのでしょうか。「山雨」という言葉が使われています。それはどんよりとした天気が続く山間の陰鬱な雨で、人の心を落ち込ませる元凶であるのです。シングがこの情景を巧みに描いています。In the Shadow of the Glen(山雨)ではそういう陰鬱な山奥の小屋で、年の離れた、猜疑心の強い夫と暮らすノラの現状離脱と再生願望への心の中が描かれています。その重苦しいテーマはこの「山雨」に集約されているのです。

 こんどは歴史的観点に立ちますと、避けて通れないのが クロムウェルの収奪、虐殺の歴史です。彼によって「アイルランド」は身包みはがれた、と司馬さんは表現しています。そのことによってアイルランドではこれまで連綿として続いてきた反英精神にさらに火がつくということになったのです。ここから幾多の試練を経て一応独立ということになりますが、赤いポストやバスが緑色に塗り替えられる社会現象は、司馬さんの言う「百戦百敗の民」からの現状離脱の思いの一端を物語っています。たとえ百敗してもそこから立ち上がろうとする彼らの気骨はマーガレット・ミッチェルの風とともに去りぬにおける「タラへ帰ろう」というセリフにおいてもうかがい知ることが出来ます。このスカーレットの激しい個性と不撓の血は彼女の体内において常に激しく燃え盛っているのです。それが昇華しようとする再生願望は、オケーシーのJuno and the Paycock(ジュノーと孔雀)の中に常に出てくるテーマです。「風とともに去りぬ」を読み返してみましたがスカーレットの不撓の血が延々と描かれ、一方でジュノーにおいても彼女の人生苦からの再生願望が絶えず流れ続けるのは不思議な共通点になっています。

 別な意味でのその精神は「ジャガイモ飢饉」にも端を発しています。この現象によってアイルランドは立ち直れないくらい何度も飢餓状態に陥り、その結果としてのアメリカ移民により、国全体が疲弊してしまうことになります。彼らはその移民先で今度は数限りない差別を受けてどん底の生活を送ることになる。でも彼らの中からやがてアメリカ大統領が二人も生まれてイギリス人に衝撃を与えたのはやはり彼らの反骨精神のなせる技でしょう。

 さて、ビートルズとスウィフトの話になりますが、彼らは、アイルランド系の人間なら誰にでもあるユーモアと風刺精神が特に突出している典型です。ビートルズが流行したのは私の学生時代ですがそのころはただやかましいだけと思っていましたが、 最近では「イエスタデイ」や「イマジン」などを聞いてみるとクラシックだなと思うようになりました。彼らが世界的名声を博したことでイギリス政府は勲章を授けたわけですが、今度は退役軍人たちがプライドを傷つけられたとして勲章返上騒ぎが起きました。そのとき彼らは「人を殺してもらったんじゃない、人を楽しませてもらったんだ」と言ったそうです。これはいわゆる「死んだ鍋」、ポーカーフェイス、で辛らつな風刺をやった典型でしょう。強烈な自我があって初めて出てくる表現でしょう。十年前のアイルランド旅行で旧跡を訪ねたときの切符切りの青年もnever give up, never defeated(ギブアップするな、殺られぬな)と繰り返し、英国への怨念を口にしていました。そういう強烈な自我意識と反骨精神は普通のアイルランド人の心の中の精神風土なのかもしれません。パブでクリーム状の泡盛のギネスを飲んでいると、それは漂泊、流浪のイメージである、という司馬さんの主張に素直にうなずくことになるのです。

アラン島雑感
 これからアラン島の話をします。何回もこれまでこの島を訪れました。何しに行くのかと聞かれれば、原始的なままの自然観察です。今年はイニシア島へ行きました。どの島に行ってもあるのは見渡すかぎり霧と岩盤ばかりでほかに何もないところです。荒蕪の島、と司馬さんは言ってまいす。そこでは人間を寄せ付けないほどの荒々しい自然、延々と続く石垣があって、月まで続こうかという石積みを重ねていく人たちの根性と意固地が感動を呼ぶのです。

 この島に魅せられて紀行文の名作を書き上げたのが J.M.シングです。アラン島の住民たちの素朴で原始的な生活の中に見られるたくましい精神力と、この島の漁師たちの苛酷な荒海での運命は、この島独特の編み目を持つアランセーターに表されています。

 セーターもそうですが、ソックスの話がシングの海に駆ける御者に出てきます。その中で、老女モーリヤが自分の7人の息子をアランの波濤の中に失います。行方不明の漁師たちの遺体を識別するのに、彼女の娘は靴下の編み目からそれが自分の兄であることを確認する場面があります。いわば遺体確認のために自分の家独特の模様を編み出すことになり、歴史をたどれば悲しい物語へ戻ってしまうのです。

 老女モーリアの嘆きは息子たちを次々に荒海に奪われてもなお厚い信仰心と強情とも受け取れる人生への開き直りがあります。「これから先はどんなに海が荒れて大波が立とうとも、ほかの女たちが男たちを案じて泣き叫んでも私は案じることはない。暗い夜に起き出してお水取りに行くこともない。」

 このイメージに酷似する場面がジュノーにあります。彼女もひどい生活苦の中で、息子を失い、連れ合いと娘から離別する不幸のきわみに陥って嘆き悲しみますが、神への祈りと頑ななまでの再生願望が見て取れます。この二つの作品の女主人公たちの中に見受けられるイメージの重なり、類似性はこれからの研究のテーマです。

 ところで、アラン島周遊記の中で、シングが描いている島の娘たちの中に見られる霊的な神秘性は、妖精に魅入られたような彼女たちの瓜実顔に見出されると彼は描いています。島の古老から彼は色々と妖精が乗り移った娘たちの話を聞かされた結果、妖精と妖精顔の娘たちの間には神秘的なつながりがあると思い込んでいるのです。

 結局、アラン島の住民の素朴さに惹きつけられて、シングが再三この島を訪れて感じたことは、「いつ命を落とすかわからぬ荒海でカラハを操り漁をするその緊張感は、いわゆる原始的な漁師の俊敏性、芸術家に求められるある種の情感にも通じるところがある」ということで、そこが私も大いに惹きつけられる点です。さらにこの島では「泣き女」というのがいて、島の人が死んだとき、泣いて葬儀の雰囲気を昇華させる役を果たすのだそうです。このkeeningは、過酷な自然の猛威にさいなまれる人たちの叫びがすべてそこに集約されてすごい迫力を醸し出し、その中に自然と人との共鳴を体感せずにはいられないのです。シングは、お年寄りの死に集まってきた人たちが一緒になって嘆き悲しむ光景は、この人たちの心のどこかに潜んでいる激情がその場面にすべて吐き出され、恐ろしい運命を前にして痛ましい絶望に打ち震えるのだと確信します。その中にアイルランドの人たちの反骨精神の根源が潜んでいるようにも思えるのです。

 シングとアラン島のお話がすべてでしたが、表題のオケーシーとのつながりを少し述べて締めくくりにします。ある評論家は「オケーシーがシングのあとを受け継いだ」と言っています。シングの十年後にオケーシーが現れるのは年代的なつながりですが、アイルランドの西海岸、田舎が舞台であったシングとダブリンのスラム街と底辺層の人々の暮らしがテーマであったオケーシーの共通項は、いずれも現状離脱と再生願望という大枠でくくれそうです。ひとつ例を挙げますと前にも述べた「ジュノーと孔雀」です。ジュノーはスラム街の生活苦の中で、まったく生活力のない夫ボイル(Peacock(孔雀)とあだ名される)や、密告者として追われるIRAの息子、貧しい暮らしから抜け出そうとして男にだまされる娘、を抱えてたくましく生きようとする女ですが、最後の場面ではすべてを失って神に祈る姿はあのモーリヤの姿そのままなのです。

 彼女の嘆きと決意の場面が終わって、何もない、誰もいない部屋へ酔っ払って帰ってきたボイルの最後のせりふは「この世はどぶどろ」なのです。その中から這い上がろうとする女の強さ、が形を変えて、背景を変えて、二人の劇作家の共通のテーマの大部分を占めているのではないかと思われます。