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3 アイルランド 3-5 アイルランドの文学

小説と経済

稲垣精一(当協会副会長、株式会社肥後銀行顧問)
聖パトリックデー熊本
熊本東急イン「羽衣の間」

 ご紹介いただきました稲垣です。長いこと銀行員生活をしてきましたから、経済とか金融とかそちらの方はある程度必要に応じて読んでおりますが、小説は余り読んでいません。アイルランド文学といっても経済と関係のある文学は聞いたことがなく、知らないので、やむを得ず「小説と経済」という題にしました。

経済小説について
 まず戦前から戦後にかけて活躍した作家に「旅愁」の横光利一がおります。横光利一の言葉の中に、「夏目漱石は金が欲しくて書いた作品が今から思うと一番よかった。いい作品だった」と漱石が言っているそうです。従来の日本というより戦前の日本といってもいいですが、日本の小説の世界に登場してくる人物は、自己本位の道楽的な職業生活者というような人が多くて、これはヨーロッパと非常に違うところです。ヨーロッパの知識人は、金銭感覚も豊かな人が多いのです。作家の中にも経済や金融の小説を書いている人が結構おられます。その代表的なのがフランスの作家でゾラです。エミール・ゾラという人に経済の小説がありますが、そこにはマルクス主義がどうだとか、どういう思想か、どういうことを言ったとか、それに対して自分はこうだとか言うようなことが結構載っています。日本の小説でそんなことを書いたのは見たことも、聞いたこともありません。それからもうひとりフランスの作家でバルザックがいます。こちらは一般の小説のほかに金貸し、高利貸しをテーマにした小説を書いて、「金融小説集」という形で翻訳もされております。これにはバルザックに出てくる主人公が主体となって、お金のやりとりとか家賃がどうだとか、国債に投資したとか数字がかなり出てきます。こういう作家は日本では非常に珍しいしまずいません。でも私たちはこういう金融とか経済とか政治とかに明るい社会人・経済人というものが出てこないことには、本当の小説にはならないのではないかと考えております。先ほど引用した横光利一の話も結局、漱石は金が欲しくて小説を書いたんだと。だから日本の作家、小説家も、やはり金銭感覚の伴うようなことを書かなければ、もはや小説家とは言えないのではないかと、言いたかったのかと思います。

横光利一と上海
 横光利一という人は「旅愁」では、パリ生活における主人公をテーマにしておりますが、その主題は西洋と東洋の対立という、甚だ思想的なあるいは政治的な話が根底にあります。それを背景に主人公はあれこれ、いろいろ行動するという形で、横光利一の代表作になっております。後でご紹介する横光利一の作品に1928(昭和3)年から31年にかけて書かれた「上海」という作品があります。ちょうど私の生まれた年くらいに横光利一が書いた作品です。この「上海」というのは、芥川龍之介から「お前とにかく上海に行って中国を見て来い」と言われて行ったというのです。それまで横光利一は、中国に行ったこともありません。当時中国というのはいわゆる世界主要国の植民地になっており、上海には至る所に各国の租界がありました。治外法権のある場所があり、そこには中国自身といえども警察権も行使できなければ何も行使できません。先進国のなすがままに放置せざるを得ない状況におかれていたのです。ですから同じ中国でも、中国の土地でありながら外国人が集中して住んでいましたので、東洋と西洋との違いというものを見出すわけです。大体同じ時期に谷崎潤一郎も中国に行っています。中国の要人、当時まだ若くて戦後も活躍した文化人で郭沫若という人がいますが、そういう方との交流があり日本人の見た中国観、中国人の見た中国観というものを対比しながら述べているところもあります。しかし、こういう類いの小説はユニークです。特に横光利一は作家でありながら、現在の日本の政治状況あるいは軍隊が中国でどういうことをしていて、中国人からどう見られているかということをテーマにしているわけです。同じ様な小説は、左翼の作家に色々あると思います。紡績業で働いている女工哀史の問題とか、あるいはプロレタリア作家の徳永直の作品はあります。しかし、横光利一のようにマルキシズム左翼に対して何の関心もない、日本の国粋主義者でもないし、ただ作家として自分のあるがままに見た中国観というものを本にして問うたという例は、ある意味では大変ユニークな例ではないかと思います。

経済小説と城山三郎
 経済事項とかあるいは経済人、社会人の入らない小説というのは小説ではないという風潮が、だんだん戦後強くなってまいりました。そこで戦後初めて経済小説と言われるジャンルが開拓されました。その第一人者は何といっても城山三郎だと思います。城山三郎は私より一つ年上で、学年は一緒、同じ先生に付いたという関係にあり、熊本にも4~5回は来て講演をしています。この人は元々名古屋の出身で、名古屋の商業学校を出てから、戦争中ですから、海軍の予科練に入りました。これは当時の特攻隊要員で、それに志願して特攻隊に入りますが、戦争に行くことなしに負けて戻って来ました。この城山青年というのは非常に愛国主義者で、日本の国のために何かをしなければということで自ら志願し、軍隊の崇高な理念に共鳴して入りました。ところが実際に入ってみたら軍隊はとんでもないところで、理想とは天国と地獄のような違いがあり、そのむごたらしさにうんざりして敗戦を迎えたということです。ですからそういうような思いを胸に秘めながら、日本の国のあるべき姿を考えていきたいということで経済学というものを選び、一橋大学を出てから名古屋の愛知教育大学の先生をしていました。大学では景気論、今は景気変動論というのでしょうか、景気が色々良くなったり悪くなったりするメカニズムを解明するという学問の領域です。こういう学問をしていまして、私も同じですが、一番気になるのは経済の中で経済人とか社会人とかいう人の動き行動の結果です。ところが当時の経済学、今でもそうだと思いますが、経済学にはおよそ人間というものは全く出て来ません。これはもともとの学問の生い立ちから言って、自然科学の分野を経済の分野に応用して出来た学問ですから大変物理的です。ですからそこには人間なんてカケラもなく、人間の痛みとか喜びとか悲しみとかは全く出て来ないのです。ところが実際の我々の生活は喜びがあり悲しみがありという形で成り立っているし、隣近所、ご近所様との関係とか、あるいは学校で何をしたとかいうようなことで成り立っている生活なのです。要するに、学校で教えていただいている経済学と現実に私たちが見る経済学というのは全く違うというところに、幻滅感を感じたのです。そこで彼の行動にあらたに出てきたのが、学問ではとても無理だから小説の分野で人間を書いてみようということが、城山文学の恐らく出発点ではなかったろうかと思います。

経済小説の中に人物を描く
 人間の生活になると、きれい事ばかりでは済まず、汚いことや裏側にドロドロした生身の体の人間が介在するわけです。そういうものをどうやって表現するか、そういうことを書かなければ、本当の人間の動きというものはわからないといえます。城山三郎「総会屋錦城」では直木賞を取りましたが、総会屋の話です。戦前から日本の社会には総会屋というのが存在しました。社会悪として、むしろ必要悪と言いましょうか、むしろ企業が抱えていたという状況です。だから言ってみれば裏の世界に住む人の話ですから表には全く出て来ません。それまでまともな小説や随筆を書いたのに対して、実際の総会屋が読み「こんなことじゃ世の中わかるはずないよ」と言ったことに気がついて、それで総会屋に取材をしに行って書いたのが「総会屋錦城」という、非常に当時としてはテーマに総会屋を選んだ珍しい小説であったわけです。それをきっかけにして色々な作品を書いております。例えばスーパーのダイエーを創設した中内功さんをモデルにした「価格破壊」とか、群馬の足尾鉱山の公害に対して当時の田中正造は、公害をいかに除去させるかという反対運動をもって会社と対抗しました。その会社は現在の古河機械金属工業という会社ですが、それに対して対抗して恐らく公害事件で初めて、水俣病公害よりもはるか以前に、明治の頃にそういうことをやった人を主人公にした小説を書いたりしています。一番有名なのは「落日燃ゆ」という戦前総理大臣をやって戦後何も抗弁しないで、絞首刑を甘んじて受けて亡くなったという大分出身の総理大臣広田弘毅のことを書いた作品です。この「落日燃ゆ」は、政界、財界上げて総ての方から喝采を受けたという典型的な作品です。城山三郎にでてくる主人公は、みんなどんな逆境にあっても自分の信念は曲げないとかあるいはロマンを追求するとか、そういう人物が総てです。どっか曲がったような人は、一人も出て来ませんので、佐高信は城山三郎には偉人伝を書く危険性があると指摘しております。そうかもしれません、みんな立派な人ですし、一人としてへそ曲がりな人は全くいません。今年亡くなられた私たち銀行の大先輩に中山素平という人がいますが、この人は日本興業銀行頭取時代に、今の新日本製鉄(八幡製鉄)と富士製鉄を合併させたり、あるいは沢山あった海運会社を大胆に数社に集約し産業再生に大いに貢献し、その後の日本の発展に寄与された人です。財界人でもどう考えてもナンバーワンであるということは誰しも認めるところです。私も中山素平さんには、もう90歳を超して銀行にわざわざお出でいただいてお会いしたことがありましたが、90歳を超えているにも関わらず秘書も何にもつけないでお一人で、とことこ歩いて銀行にお出でいただき大変恐縮いたしました。城山三郎には、そういう立派な人間、リーダーシップをもってそれを果敢に実行していく人とか、あるいは組織の中にあって、エリートがエリートとして組織に押しつぶされて組織の下積みになり、そういう状況下でそのエリートはどういうふうに仕事をやっていたかというのをテーマにした「小説日本銀行」などを書いています。そういうように地位には拘らないで人間性だとかに共感するものをとりあげているんです。そういうような人間が出てきてはじめて経済小説というのが成り立ってきたという意味では城山三郎は、経済小説のパイオニアであるといってもいいと思います。

 ところがその後経済小説家といわれる人はたくさんでてきました。その多くは面白可笑しく社会の裏側をえぐり出すとかあるいはスキャンダルをテーマにするとか、そういう作家が非常に増えて来ました。これは悪い点をあからさまに表にだすということしかなくて、世の中の為にならない、役にたたないという、そんな小説ではいわゆる経済小説とは言えないということを城山三郎は言っています。将にそうだろうと思います。従って城山三郎の作品は、彼の生き様とかあるいは学校での教育であるとか、あるいは軍隊での経験とかそういうものをベースにして小説を書いているというところに特徴があります。皆さんの中には城山三郎の小説をお読みになっている方もいらっしゃるかもしれませんが、そういうことで読み直されると、経済学の本を読むよりもよほど社会とか経済とか実態がわかると思います。その意味では少なくとも実体を知ると同時に、自分にとってもプラスになると言うようなのもあるのではないでしょうか。

昭和の初めと現代
 それから城山三郎の作品について申しあげましたが、もうひとつ経済小説とは言わず横光利一の作品が時代の様相を的確に捉えているという点で、「上海」の説明を先ほどいたしました。当時の1930(昭和5)年、私の生まれた1928年前後は、明治以降発達してきた日本の紡績業が、発達するに応じてコストがどんどん高くなって来た頃でもあります。それで国内生産では国際競争力に劣ってくるので工場を中国に作りました。これは中国に紡績業をつくるというので、在華紡というふうにいわれています。同じようなことは英国でもありました。今ちょうど上海に世界各国の国、人が往来してビジネスをやっているということは、1930年頃と非常によく似ていまます。時代背景が違いますが共通していることは、グローバリゼーションというものがかなり進んでいます。1930年の時もそうだったし今もそうです。その度合いはどうかと言うと、むしろ戦前の方がグローバリゼーションは進んでいたと言えないこともないんです。それで当時の中国の人件費は日本人の人件費の半分以下。かつては中国も日本の人件費の十分の一とか言われていましたが、今では沿岸地域の活発に動いている所は、かなり高くなっています。内陸地帯はまだまだ低いとは思いますが、賃金格差というのは同じようにあります。ところが日本の場合は、10年から15年間で、中国市場をある意味で英国に勝ち制覇しました。その理由の一つは高い技術力ともう一つは現地の安い労働力を酷使したという労働強化です。コストを下げ、あわせて植民地、租界がありましたので、日本陸軍が民間人を保護したという軍事力による保護というこの二つが大きく貢献したというふうに思います。今はそんなことはありませんけれども、グローバルな展開で今は英国に変わってアメリカですが、アメリカ、日本、ドイツやフランスは、中国市場でかなり熾烈な競争をしています。その意味では、ちょうど今から70年前と変らない状況です。歴史は繰り返すということではありませんけれども、何十年ごとに主役は変わっても同じような状況が出てくるということです。そこで横光利一は何を見たかと言うと、上海は西洋と東洋とが将にぶつかりあってその色合いを残しながら、曖昧模糊とした形で進んでいることです。東洋でもなければ西洋でもないという、従って将来グローバリゼーションが進んでいった場合に、日本の国益というのはかなり問題になるのではないか。つまり戦前でいえば英国との競争です、英国との競争がどうなるか。最近の事例で言えば、日米の競争がどうなるかということになってくるわけです。これに対してもちろん明快な答えは与えておりませんけれども、横光は戦前の上海をみて、将来の日米戦争あるいは日中戦争というものを、ある程度予想していたということは言えるのではないかと思います。その意味で文学者であり作家でありながら、世の中を見る目はたいへん立派だったのではないかと思います。

おわりに
 戦前と戦後という時代の違いはありますが、歴史というものは似通っている面があるのです。ですから似通った面を比較しながら学問でもいいですけれど、小説として今後の日本人のあり方としてどう考えていったらいいのかとか、あるいは今の中国人が日本をどう見ているのかとか、アメリカをどう見ているのかと言うことも、あわせて関心の対象にならなければいけないと思います。そうすることによって、文学と経済問題あるいは社会との問題というものの溝というものがドンドン埋まってくると思います。政治、経済問題を我々は日々新聞等で目にしておりますが、文学という作品により、一部フィクションではあるにせよ、そういうものを読み取るということは、いかに私たちの頭をブラッシュアップするためにも必要なことではないかと思います。