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2015年(第17期)市民講座のお知らせ

2015年(第17期)市民講座が下記のように決まりましたのでお知らせいたします。受講料は無料ですが、会場により参加費(飲み物とお菓子)や入館料が必要です。詳細は当協会事務局までお問い合わせください。

日程 演題 講師 会場等
5月23日(土)
14時00分~
アイルランド(人)と日本(人)の比較 ピーター・フラハティ氏
元崇城大学教授
※1
7月25日(土)
14時00分~
ケルト妖精の魅力 高木朝子氏
熊本高専准教授
※1
9月26日(土)
14時00分~
アイルランドの音楽 本間康夫氏
崇城大学教授
※1
10月24日(土)
14時00分~
ケルトとハーン文学 坂本弘敏氏
小泉八雲熊本旧居館長
※2
開講時間はいずれも90分
※1 お菓子の香梅帯山店ドゥ・アート・スペース 参加費200円(飲み物とお菓子)
※2 小泉八雲熊本旧居 入館料 高校生以上200円、小・中学生100円、熊本市内の小・中学生および65歳以上は無料
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3 アイルランド 3-5 アイルランドの文学

アイルランドとアメリカ

中島最吉(熊本アイルランド協会会長、祟城大学副学長)
2005年(第7期)市民講座「アイルランドの社会と文化」(5回シリーズの第5回)
熊本市産業文化会館

はじめに
 今日は「アイルランドとアメリカ」ということで、「風と共に去りぬ」の原作と映画にアイルランドがどういう形で絡んでくるかと、スタインベックの「エデンの東」でアイルランドのケルト的な影響が、作品の中にどのように出ているかをお話します。

 まず最初に、タラという土地について、「古くからケルト民族の間で、最も神聖な地とされてきた。ことに3世紀最初のハイキング(部族の上にたつ王様)・コーマックが全島の首都と定めたことで有名。7世紀半ばまでこの丘は、政治・宗教・文化の中心であった。タラとは諸王の聖所の意味である」と『アイルランド概説』(アイルランド政府観光庁発行)にあります。『風と共に去りぬ』の大農園があるところがタラです。映画でもタラというのが何回も出てきます。最後は主人公のスカーレット・オハラが二人の男性との恋に破れて、「明日はタラに帰って考えよう。明日は明日の日が昇るではないか」という所で小説は終っています。全編“プランテーション・タラ”というのが住まいのあるところで、それを南北戦争の始まる年から終ったあとの年まで。年数で言うと、1861年の4月が小説の最初にでてきて、そして65年に4年間かけて終りますが、そのあとの66年のあたりまで描いたのが小説です。小説は1000ページにいたる大作です。

 私が最初にタラというのに惹かれたのは、熊本大学と熊本学園大学とアメリカの交流を結んでおります所からタラという女の子が来ました。ほかを調べてみると、タラという名の女の子の名前はかなりあるようです。まず『風と共に去りぬ』の大農園のある場所がタラということを申しあげます。著者マーガレット・ミッチェルのことを最初に少し申します。

『風と共に去りぬ』
 ちょうど20世紀に入った1900(明治33)年生れで、49歳で亡くなっております。父親はジョージア州というずっと南の方のアトランタで弁護士をしていました。25歳の時に結婚、その翌年に足に大怪我をして、あまり出歩かれなくなったのでずっとうちに引きこもり10年かけて書いた小説が「風と共に去りぬ」で、あとは書いておりません。この1冊だけですがべらぼうに売れたのです。出版されたのが1936年、スペインの内乱が始まった年です。20年代の後半から、アメリカは非常に左翼文学が盛んな時代です。一番世の中で目立ったのが自動車の生産と映画です。映画は20年代後半から30年代が全盛期でした。29年末の大恐慌があるのに、どうして盛んだったかと言いますと、もの珍しさと映画でも見ないとやりきれないからだそうです。その30年代の最後の1939年に映画が出来ております。先祖はアイルランド出身のマーガレット・ミッチェルは最初は医学をやろうとスミス・カレッジに入りますが、すぐに母親が亡くなり大学を辞めて地元のアトランタに帰ります。そして、「アトランティック・マンスリー」という雑誌社にずっと勤めます。その時同僚スタッフの中に、アスキン・コールドウェルという作家がいて小説を書く心境になったそうです。

 小説の前にちょっと申し上げますと、映画の方は皆さんご存知のように、クラーク・ゲイブルとヴィヴィアン・リーがでまして、製作はデービッド・G・セルズニック、監督はビクター・フレミングで、アカデミー賞を全部とりました。アカデミー作品賞、監督賞、主演女優賞、もちろんヴィヴィアン・リーですが、助演女優賞はハティ・マクダニエル、脚色賞、脚本賞、美術賞、編集賞、色彩撮影賞、つまりテクニカラーの始まりですから、特に色彩撮影賞がありました。それに製作賞、特別賞ということで製作企画に対しても賞をもらっています。制作費はその当時600万ドルであったということです。

 映画のほうは簡単に言いますと、スカーレットという女性は、アシュレーという男を愛していますが、彼は従姉妹のメラニーという女性と結婚します。それで勝気なスカーレットはメラニーの兄と結婚しますが、彼は戦死してしまいます。妹のフィアンセと結婚しますが、彼も亡くなってしまいます。そして南北戦争の最中ですから、その中をたくましく生きていく野性的な男としてレッド・バトラーというのが出てきます。ご記憶にあると思いますがクラーク・ゲイブルです。バトラーの強引なやり方と言ってもいい愛情にひきずられて結婚しますが、結局最初のアシュレーへの思いが断ち切れないままにバトラーとの結婚生活もうまくいきません。破綻してバトラーが去っていくというところで、小説は終ります。この自分の家をモデルにしたと思いますが、新潮文庫の訳で一番最初の書き出しのところをご紹介します。

 「スカーレット・オハラ」は美人というのではなかったが、双子のカールトン兄弟がそうだったように、ひとたび彼女の魅力に捕らえられると、そんなことは気にするものはほとんどいなかった。その顔には(ここからが彼女の出生を書いてあります)フランス系の貴族の出である母親の優雅な顔立ちとアイルランド人である父親の赤ら顔の肉の厚い線とが目立ちすぎるほど入り混じっていた。」という文章で小説は始まっています。明らかに父親はアイルランド出身であり、農園の名前もタラと付けていることがわかります。それから10数ページたった所にこういう記述が出てきます。父親のことですが。「彼はアメリカに移住してからすでに39年にもなるのに、言葉はまだ生まれ故郷のアイルランドの訛りが強く残っていた」というふうにはっきり父親の出がアイルランドで、39年前に移住してきたことが書いてあります。

 何でこの小説が人気を取ったか。南北戦争は長くて大変なもので、最初はリー将軍が率いる南軍の方が優勢です。最初の1年ちょっとの間は、殆どの戦いで勝利し、グラント将軍率いる北軍を圧倒します。そのあとどんどん押し返され、最後に両将軍が手を打って南軍の方は敗戦を認めるというかたちになります。この小説に北と南という構図がいっぱい出てきます。バトラーが自分の子供を北部の人間とは絶対結婚させないとか言ったり、色々なところで北と南という意識があります。

南北戦争
 ちょっと中断して申しあげたいのは、アメリカの歴史を考える時に歴史で教わったのは、1620年にメイフラワー号でニューイングランドに移民がやってきたということを強く教わります。その10数年前にイギリスから南部の方に移民したという話はあまり出ておりません。それを頭の中に入れておかないと南北戦争はわからないと思います。こちらは政府の出先機関です。新大陸に政府の出先機関、要するに植民地化するための出先として政府の関係者が移民して来ました。お役人がちゃんと引率して希望者を連れてきたわけです。だからバージニア州のいま海に沈んでおります海岸の町に、当時のジェームズ1世の名前をとってジェームズタウンという名をつけます。私は行ってみましたがどこにありません。侵食の関係で海の中になっています。海岸から何マイルか離れた所になってしまっており、そこにこの名前をとって街づくりをしました。そこの人たちは政府の役人の代表を頼っていろんな人が入ってくる。そうするとその人たちはロンドンのことばかり気にして、いつロンドンに帰れるだろうかとか、ロンドンの雑誌をとったり、ロンドンのファッションはどうだろうと奥さんたちは考えているような町でありました。それが今のバージニア州のリッチモンドは首都ですけれども、その海側のところに拠点がある。それがドンドン、ドンドン南下していって、奴隷を使って大農園を作り上げていったというのが南部の成り立ちです。

 北の方に来た人たちは、ヨーロッパの各地から来た人はちろんアイルランドからもたくさん行きましたが、きっかけは自分のいるところで貧乏な暮らしをするよりは少々危険はあっても新大陸でチャレンジをしようというのが大きな原因でした。それともう一つは、国王がローマカトリック教会と縁を切って英国国教会というものをつくりました。これはカトリックでなく、カンタベリー僧正が宗教家の一番上で、その上に国王がいるという形です。そんなに勝手に宗教を変えられてたまるかという、特にアイルランドなんかはそういう気持ちが強かったと思います。それと貧乏のためにどんどんアメリカに渡って行った訳です。それが要するにメイフラワー号です。メイフラワー号で行った人たちは、まず貧乏だということがあるわけです。それから反政府です、元々北の方に反政府派の人たちがいて、南の方に政府派の人たちがいたということを頭に入れていただきます。これが17世紀の前半です。大雑把なことを言いますと、18世紀の後半にアメリカが独立宣言をします。まだ本当に独立したとはいえませんが独立宣言をします。それも東の方の13州だけで独立宣言したわけですから、中西部から西の方は全然関係ないわけです。それがドンドンふえていきます。一時はボストンあたりの周辺ニューイングランドあたりは人が溢れるほどいるわけです。年表を見ていただきますとわかりますが、1845年~49年大飢饉、じゃがいも飢饉といいますが。この49年頃にカリフォルニアで金鉱が見つかった、金がとれるといううわさが流れます。西部劇によくでてきますが、フライパン一つ持って川にいって砂を掬いますとキラキラしたのが砂金です。それを袋に入れて銀行に売りにいったりする光景が出てきます。そういう噂が流れて、ある程度事実だったわけですが、それで東側に残っていた移民の塊がワーッと西へ行くのです。誰でも金がとれる、これがジョン・ウェインの映画でお馴染みの『駅馬車』の幌馬車隊でした。とにかく食うや食わずの生活をするよりと西へむかったわけです。それが49年ですから、飢饉の年限は51年までといったりする人がおりますが、これでいっぱい移民したわけです。アイルランドだけでどれ位の人たちが行ったかと言いますと普通大体100万人前後ではないかと言われ、最低でも80万人はアメリカに行っていると言われています。それだけの東部にいた人が、砂金がとれるというのでワーッと西へ行きました。それでその頃南の方もドンドンふくらんできて、大農園制度の奴隷を使った農業が北の方にふくらんで行きます。それと西の方へ土地の危険を顧みず行く人たちが、接触せざるをえません。それが南北戦争と考えたら分かりやすいと思います。だから奴隷解放というのは喧嘩の口実でして、南部の方はそれに対して南部連盟を作ります。北の方も同じ人間を奴隷にするのはけしからんと声高らかに言いますが、北の方の人の中にも実際には奴隷を使っていたような事実が、当時はあったと思います。それでどこが境だったかと言うと、ミシシッピ川から分かれて流れているオハイオ川あたりです。オハイオ川を北へ越えると奴隷が逃げても助かる。オハイオ川の手前で捕まると殴り殺されるというふうに当時は言っていました。その頃の状況を書いたのが『アンクルトムズの小屋』という有名な小説です。

 南北戦争というのが政府側と反政府側の二つのグループによって起きました。北の方は貧乏ですから勉強を一生懸命するわけです。ですから産業革命で新しい工業は北で発達します。古い大学も全部北にあります。ハーバードにしても北の方にあります。一所懸命勉強して、新しい科学技術を発達させました。もし、南北戦争で南の方が勝っていたらどうなるだろうということですが、恐らく国が分裂していたと私は思います。別の国になっていたのじゃないか。北の方が南の方に追従して、服従して大農園式の農業をやるとは考えられません。どうしても二つになったという気がします。そういうことで南北戦争は、1861年から65年まで続き、65年に調停して終わりました。

 『風と共に去りぬ』という小説を、かなり忠実に引き抜いて映画にしたわけです。この中には南北戦争の状況を細かに書いていったと、そしてそれに伴ってジョージア州のアトランタやそのほかの町がどんな風に荒廃していったか、それから黒人奴隷が解放されるといっても何していいかわからないのです。戸惑ってうろうろしているばかりで犯罪ははびこるなど、どうしようもない状況を克明に書いていったわけです。その中のもう一つの大きな筋立てがスカーレット・オハラを中心とした彼女をとりまく男性群ということで、小説の最後はレッド・バトラーが彼女の元を去っていくという所で終わります。

 そのほかのいくらか言葉を拾ってみたいと思いますが、本当の終わりの方に、レッド・バトラーがいわゆる別れようと言い出す場面の所を拾い読みしてみます。スカーレットが「あんたどこへいくつもりなの」というふうに聞きます。そうするとバトラーが「そうだね、イギリスか、もしかすると故郷の連中と仲直りする為にチャールストンへ行くかもしれない」といいます。するとスカーレットが「だってあなたはチャールストンの人たちをひどく嫌っていたじゃありませんか。あなたはあの人たちを馬鹿にしていたでしょう」と言います。バトラーが「今だって馬鹿にしている。だが俺もこの辺で放浪生活を卒業したいと思うんだよ、スカーレット。お前も俺も45だ、45といえば若い頃は馬鹿にして気にもしなかった親戚づきあいをしたり、名誉を求めたり一身の安全を図ったり、しっかりと深いところに根を下ろしたものを尊重する年ごろである」と言うんです。しかし、スカーレットは分かりません。するとバトラーが「あんたも45くらいになると分かるようになるよ」というんです。バトラーがしばらくして、「俺の言う意味がわかったね」と言いますと、スカーレットは「分かっているのは、あんたが私を愛していないということとどこかへいってしまうことだけですわ。あなたが行ってしまったら私はいったいどうしたらいいの」というやりとりをして、別れるときの最後にバトラーは「でもね、俺は決してお前を恨んではいないからな」といって姿を消すのが、この二人の最後の場面と言うことになっています。本当にバトラーというのは映画でもそうでしたが、クラーク・ゲイブルの脂ぎった感じの顔で、日本でいうなら戦後の闇商売から何でもやるような男です。金儲けをやってその戦後のどさくさの中を生き抜いていくという形にしてやってきたわけでが、最後はそういう場面になっています。

アメリカ南部
 先ほどいいましたように、非常にスカーレットは楽観的だしそれくらいでは簡単にあきらめません。バトラーを本当は愛していたではないかということに気が付きますが、もう一度どんなことをしてでも、レッドを取り戻してみせる。どういうふうにして取り戻すかは、タラの丘に行って明日ゆっくり考える。明日は明日の陽が照るではないかというのが最後の台詞になっているわけです。これでどの程度彼女が自分の出生のことと絡ませてやったかと思いますが、少なくともオハラ家というのはあきらかに名前からもアイルランドの名前です。恐らくそういうのが南部の農園主の中にはいたんだろうと思います。後でスタインベックの話をしますけれども、スタインベックの母親のハミルトンも最初は南部に行っています。そして父親の方のスタインベックはドイツ系で、北ライン地方の出ですが、ここも移民してきて南北戦争の時は南軍に入っています。スタインベックのおじいさんになりますか、曽祖父になりますか。ですから先ほどいいましたように、だいたい北の方が多いのですが政府系の南部に行っています。それは17世紀の初頭のことでありまして、いろんな人が南部にも入り込んでいて、大成功している人もいます。アメリカは寄せ集めの民族ですから、分析することは難しいと思います。

 南部のことでちょっと脱線しますけれど、プワーホワイトもいるわけです。アパラチア山脈の山の中なんかに住んでおりまして、非常に極貧の状態で生活しています。私も一度ずっと昔NHKで様子を写したのを見ましたが、これは黒人の奴隷よりも馬鹿にされる存在でして、フォークナーの小説なんかにでてきます。南部というのは非常に複雑です。

 ミシシッピ川の下流の方、ラフカディオ・ハーンがいたような場所は、フランス語とスペイン語と英語と混じったような独特のクレオール語を話す人たちがいるなど南部は複雑なところです。この舞台になるジョージア州というのはフロリダ州の北側にあり、更に北がサウスカロライナ州です。もちろん首都はアトランタですが、この『風と共に去りぬ』の舞台になったのはもうちょっと北の方になっております。

ジョン・スタインベック
 前後わけの分からないような話をしておりますが、スタインベックのことを少し申しあげて見たいと思います。スタインベックは1962年にノーベル賞を貰いました。このときに一番ビックリしたのは賞をもらった本人でして、本人が信じられないといったといいます。受賞演説の時には適当に言っていますが、いろんなインタビューに本人がそう答えています。どういう出生かと言いますと、おじいさんは北ライン地方の出です。南北戦争では南軍に参加し、戦争が終わって10年経った1874年にカリフォルニアの方に移っております。お父さんは更にサリナスという所に移り、亡くなるちょっと前まで11年間郡の収入役をしていました。今その頃の生家が残っています。サリナスと言うのは、サンフランシスコとロサンゼルスの三等分しまして三分の一くらいサンフランシスコよりのところで、モントレーに近いところです。モントレーは漁業が盛んで昔は缶詰工場とか何とか海産物関係で栄えた所です。それでスタインベックにも「缶詰横町」という作品もあります。そこでスタインベックは生まれまして、母親の先祖は北アイルランド出身のアイルランド人です。この人はちょうど南北戦争が終わってからすぐ位にアメリカに渡って、近くのサンノゼやキングシティに住んだりして農業をしていました。このお母さんというのは、4箇所か5箇所で小学校の先生をしておられたと思います。スタインベックが生まれましたのは、マーガレット・ミッチェルの2年後、1902年ですが亡くなったのは68年です。非常にお母さんの影響が強くて、子供の頃からアーサー王伝説を読んだり、恐らくアイルランド関係の本とバイブルを相当読んだと思います。

 ところが、1934年にお母さんが亡くなります。その数年前に30年の頃に20代の後半にキャロル・ヘミングという人と結婚します。この人がどうもお母さんそっくりだったみたいです。しかし1942年に離婚します。何故離婚したかと言いますと、惑わされたからと思います。彼が少し名前も出てきてハリウッドに出入りするようになります。ハリウッドは派手ですから、ハリウッドの女優さんじゃないですけどもグイン・バードンという女性がいて、離婚して1年後の43年にその人と一緒になります。私はアメリカに行った時に、そのバードンさんが最初の奥さんと離婚する時に3人で話し合った時のことを記録してある本をみつけて丹念に読みました。一番面白かったのはスタインベックがなかなかずるい男で、離婚話をする時に当事者が集まって話そうということを言ったそうです。自分も入れてキャロル・ヘミングと3人会いました。しばらく坐っていたら、関係者が話し合うのが一番効果的だと思うので「俺は庭を散歩してくる」と言ったそうです。そうしたらそのときに最初の奥さんが言うのには、「今のことでもわかるように、あの人はたいへん無責任な人だから、いつかは今の私の立場にあなたはきっとなると思うよ」というふうに言ったということを、2番目の奥さんがちゃんと書いて、その通りになり、5年後には別れています。そして3番目の奥さんはエレーヌ・スコットといいまして頭のいい女優さんです。

黄金の杯
 私がスタインベックについてどういうことを申し上げたいかと言いますと、この人の最初の本が出たのは1929年です。大恐慌の寸前に出版されて全然売れませんでしたが、「黄金の杯」という本です。これはパナマ運河のパナマのことを金の杯と言っているのです。これはあのあたりで大航海時代の後に、あそこには宝がいっぱいあるとか天下の美女がいるとか言うようなうわさがあり、海賊たちの憧れの地であったらしいのです。この小説の主人公は、ヘンリー・モーガンという海賊です。カリブ海を荒らしまわって、最後にはパナマを手に入れるという筋書きです。このヘンリーの出生がウェールズということになっております。15歳の少年がウェールズで、カリブ海の方に行って帰ってきた人の話をききながら、自分も外に出たいという風に思っているところから始まっています。そこに出てくるマービンという詩人というか占い師といいますか、何かたいへん変な人物がでてきます。その出だしのあたりがどうみてもこれはウェールズでなくても良かったと思うくらい、スコットランドのはずれでもアイルランドでも良かったと思うようにケルト的なムードを漂わせて始まります。そしてマービンは、親が引きとめて欲しいと思いますから、エリザベスという女の子が好きだということでエリザベスのところに行けよと言うのです。行きますけれども口笛を吹いて合図をしますがエリザベスは出てきません、そのままそこを去って船に乗って、最初は奴隷のような仕事をしながら海賊に成り上がっていくわけです。一番最後の彼が亡くなる前に、夢か現実か分からないようにしてエリザベスが現われるという非常に甘っちょろい小説です。最初の出だしのところの様子が非常にケルト的です。

『知らざれる神に』
 それからその次に『知られざる神に』というのを33年に出しておりますが、書いたのは「黄金の杯」の後だと思います。これはスタインベック全集にもありますから、大変へんてこな小説でありますが、是非チャンスがありましたら読んでいただきたいと思います。これもやはり先ほど言いましたモントレー、サリナスの近くの西部の農場の話です。東部から来た人がそこに農場を作ります。アメリカにはホーム・ステッド・アクトという自営法があります。アメリカは広いですから最初ドンドン広がっていく時に、法律が出来たのは南北戦争の後の62年だと思います。160エーカーまで自分の力で耕した所は自分の土地にしていいという法律。ドンドン西の方に行って、自営農法みたいなのに基づいて、東部から来た人には西の方に160エーカーを農場を作るわけです。その頃はもう土地はなかったはずですが、どうしてそういう土地があったかといいますと、土地の人の話によると4年おきか5年おきくらいに大干ばつがやってきます。その時は何にもとれないので、全部そこを手放してよそに移っていった土地が残っていたということです。そこに大きな樫の木がありました。そこにジョーゼフという主人公が住んで、父親の霊が宿っているという風に考えてその木の下に家を作るわけです。父の霊が宿っているということを本当に信じていますが、そこの農場に水を運んでくれる流れは、山の中の林の中に大きな岩からであります。その岩のもとから清水が流れ出しているということになっています。その場所を非常に大事にしているわけですが、色々ないきさつはありますけれども数年経って遂に干ばつがやってきます。そうすると何回もそこに行ってみますが、この奥さんの名前はエリザベスだったと思いますが、そこの岩を見に行って岩に登って奥さんが足を滑らして死んでしまうのです。それもちょっと唐突で因縁めいた話ですが、その後いよいよ雨が降らなくて雨乞いの祈りをしたりしますけれども、また本人が岩のところにやってきます。色々やってみるけれども元になるところが本当に枯れかかっているのです。そして、岩に登り自分の手首を切り雨乞いのため自分の血を岩に垂らします。だんだん意識が朦朧としてくると雨が降り出し、雨の音を聞きながら死んでいくという結末です。ひと口には言えませんが、少なくとも普通のアメリカで書かれる小説とはムードが違います。

『ツラレシート』
 次に32年に出る『天の牧場』といいますかそういう名で、短編が10個くらい入った本で、これは売れました。先ほどの3冊の中で一番売れて、一息ついたような感じです。これも奇妙な話で、場所はそこら辺の場所が舞台です。マンローという家があり、そのマンロー家が絡むようにして色々な話を10個並べているわけですが、そこの中に4番目の話に「ツラレシート」という話があります。作者は「小さなカエル」ということを意味するスペイン語だと書いております。スペイン語の辞書をどんなに調べてもそういうのはでてきません。絵空事かもしれませんが、小さなかえるとあだ名で呼ばれる子供、11歳の少年についての話です。これが一番アイルランド的といいますか、ケルト的といいますか、普通の人間の子供とは全然違いまして、捨て子だったんです。パンチョという農園の下僕みたいなのがおりますが、これが仕事をして楽しみはお休みのときに給料をためてモントレーの町に出て行って、お酒を飲んで酔っ払って馬車で帰ってくる。馬の方が道を覚えていますから帰りは馬車に乗って寝てるとちゃんと農場までつれて帰ってくるという生活をしています。そのパンチョがある朝、眠らないで大声を出して帰ってくるのです。まずモントレーの町に酒飲みに行き、朝帰って来るときに目を覚ましているということにみんなビックリする。それから大声でわめいているので何事だと言いますと、今来る途中で、3ヶ月くらいの子供が捨ててあった。それが見た目になんとも人間の子供と思われないのでビックリして、助けてくれといって帰ってくるのです。その3ヶ月くらいの赤ん坊が、拾おうとしたら「俺には鋭い歯が生えているぞ」と言ったので、ビックリ仰天してゴメスという主人に話します。主人が行ってみますと、ちゃんと馬車の中に赤ん坊がいて、その時は全然何も言いません。でも形は普通の子供と違って、異様な感じのする子供ですが、それを親切な人が育てるわけです。5歳くらいになったときは、知能は遅れているけど力仕事はなんでもやる。動物なんかは大人がてこずるような馬だって彼が行って言うとおとなしくなる。植物なんかも接木をしようとすると他の人ができないのに彼にやらせるとチャンとつがってしまうというわけです。学校は行っても仕様がないからとやりませんが、郡の教育委員会の方で必ず学校にやらないといけないと言うことで11歳になったときに強引に学校に連れて行かされるわけです。ですけれどもすぐ帰ってきてしまう。勉強は全然覚える気がないわけですけれども、本人は彫刻をしたり絵を描いたりが大得意でして、マーチン先生というかなり年配の女の先生が「これはやっぱり好きなことをやらせないといけない」、学校にこさせるために、何回も本人に言ってきかせるわけです。それで「あなたは素晴らしい才能をもっている。これは神様からいただいた大切な才能だから大事にしなさい」ということを繰り返して聞かせる。そしてある時に、黒板に絵を描いてみようということで描かせる。そうすると黒板いっぱいに見事な動物の絵を描くわけです。ところが他の子供にも授業をしないといけないので「あなたが絵を描いたから今から算数の授業をするから」と先生が言って、黒板を消しにかかったら獣みたいにつかみかかってきて、クラス全体と女の年配の先生を相手に、大騒動になるわけです。最後は先生も他の生徒も一緒に教室から逃げ出してしまうということで、先生は頭に来て、農場主のゴメスの所につれていってこういうことがありましたと二度としないように鞭打ちをやってくださいと言うのです。農園主の方は「それは先生が悪い。本人に描けといって描かせて消すのは本人が怒るのは当然ではないですか」といったりするのです。鞭打ちをやれといわれればやりますということで本人は縛られて鞭打つのですが、鞭で打たれながらニヤニヤして眺めている。怒りもしなければ泣きもしないというようなことを書いている。鞭打ったって同じでしょうと先生に言うのですが、先生は嫌になって学校をやめてしまう。その次にどうも母親をモデルにしたのではないかという若くて頭が良くて美人の先生が来るわけです。その先生は絵を描かせるのに黒板を仕切って、ここまで描いてよろしいということで絵を描かせます。この先生はお話を読んで聞かせるのが得意で、その頃の小学校というのは何年担任ということではなく全部一緒ですから、低学年から高学年まで、若いものいるし、かなり年とっとったものもいて、色んな本を読んだということが書いてあります。イギリスのスコットの小説とかアメリカのジャック・ロンドンの小説とかいうのを読むと書いてあります。ところがあまり大人っぽい小説ばかりじゃいけないと、ある時低学年のためにいわゆる童話みたいなものを読んであげるのです。そうすると絵を描いておったツラレシート絵を描くのをやめて一生懸命聞くのです。先生は喜んで、こういうところもあったかということでそういう話もずっとしてあげます。一番熱心に聞くのはツラレシートです。その人たちはどこにいるのですかというように。そして自分はどうも童話の中に出てくる妖精とか何とかと親戚だと思うようになるのです。自分の一族は全部地面の下に人間から目につかないところに住んで、地面の下はヒヤヒヤとして涼しくて、そういうところに自分の一族は居るはずだということで、山の中を歩き回ったりするようになります。先生が学校から帰っているとついてくるのです。先生は気持ちが悪いから何でついて来るのかと聞くと「いや僕は親戚を探しに行くんだ」と。先生も口を合わせて「なかなか見つからんと思うよ。見つかったら先生に教えてね」と。必ず見つけるのだと言い、先生の帰り道でそういう話をして別れます。本人は、誰にも親戚探しをする。これは確か英語ではGNOME(ノーム)という名前を使ってたいと思いまが、訳では地の精と書いてあります。地の精の一族だと思うようになりずっと探し回ります。そのとき先生が「昼間は出てこないのじゃないか」と言いますから、夜中に探し回るようになります。そして大きな農園で、柔らかく肥料をやったりして耕してある所に行って、ここに穴を掘れば一族と会えるかも知れないということで、朝までかかって大きな穴を掘ります。「誰かいないか」と言いますが返事がないので、くたびれて自分は別の所に寝てしまいます。そこへ農場主が来て、コヨーテを捕まえる罠を作っていて、わなが無くなって大きな穴が空いているから、誰か悪戯したのだろうと思って埋め戻します。そうするとまたあくる日、自分が掘った穴が埋めてありますから、自分の一族が埋めたのだと思い、必ずここにいるとまた掘るのです。掘っても出てくるはずはないのでよそに行って寝ていますと、農園主が来てかんかんに怒って、埋めかかります。そうするとツラレシートがそれをみて、穴掘りのショベルで後ろから農園主をなぐりつけて、殺しはしませんけど倒します。それでそこの子供が見つけて大騒ぎになり、ツラレシートがやったということが分かってしまいます。教育委員会はその農園主のゴメスにも話して、要するに囚人用の精神病院に送らざるをえなかったという所で話が終っています。

 ツラレシートが自分の一族は必ず地中にいて、穴を掘ればいつか会えると思っていく。妖精の話を聞くと一生懸命に聞く。ずっとその話を読んでいますと、普通にアメリカの人が書く話ではないなという気がして、作品の出来・不出来は論外としまして、どうしてもスタインベックが小さいときに母親から聞かされたような話とか、若い頃に読んだアーサー王伝説とかそういうものの影響が出てきて、そういうものを書きたくなるのかなと思います。ただこれを読んでいただきますと全体的には非常にバランスのとれたいい作品だと思います。

 特に西部のあのあたりには、パイサノと言う人たちがおりまして、スペイン人とインディアンと混じったような特別な人たちがおり、そういうのを主人公に特に好んで書いています。スタインベックのいろいろ書いた小説の中で一つの特徴は、知能が低くて勉強は出来ない。しかし色々なことがいっぱいできないが力持ちで性格は素直で、言われたことは何でも一生懸命するというようなタイプの人がいくつもでてきます。一番有名なのは映画にもなった『二十日鼠と男たち』の中に出てくるレニーという大男です。非常に知能は低いが、ちょっと力を入れただけで握りつぶしてしまうような大力のを持った男です。

 私はスタインベックの中に、人間としての知能は低く動物に近いような存在だけれども、そういうものに対して作者がすごく興味があったのではないかという気がします。その後『怒りの葡萄』とか『エデンの東』とか写実的な作品を書いたりして、評価の高いものがあります。一番いいのは結論的評価が高いのは短編集ですが『赤い子馬』というのがあります。これが一番評価されていると思います。アメリカで高校なんかの教科書によく使われているということです。

『われらが不満の冬』
 亡くなる前の61年に書きました『われらが不満の冬』という最後の小説があります。『われらが不満の冬』と言うのは何かと言いますと、シェークスピアの『リチャード3世』の中に出てくる言葉です。我々のいわゆる冬の時代、こういう苛められてよくなかった時代が、新しい太陽(SUN)ですけれども(これは息子SONとかけてある)新しい世界の夜が明け来るのだと言う台詞が『リチャード3世』の中で出てきます。これは56年に書いた銀行強盗の話を拡げたといわれますが、不出来の作です。しかし、この中に小さな飲食店をやっている主人公がいて先祖は移ってきたときは立派な人でしたけれども今は恵まれない暮らしをしています。アレンとヘレンという男女二人の子供がおり、作文コンクールに息子アレンが投稿し一席になるのです。お祝いをしようと言っていますと、報道関係が来て一席になった懸賞作文は全部剽窃であるということがわかったと問題になります。どうもインチキだといったのは、妹のヘレンみたいだとほのめかしてあります。最後に銀行強盗をやったりしますけれども、俺はダメだということで自殺をしようと思って海際の洞窟みたいなところに剃刀の刃をもって行くのです。そして、波が押し寄せてくる中でいろいろ考えていますと、この彼のうちに、変てこな魔よけの石があり、それらをたいへん大事にしているのです。彼はいろいろ考えながら、俺の明かりは消えたんだと言いながら、最後に思い直します。俺にはもうひとつ仕事がある。娘の方のヘレンに、この魔よけの石を渡さなければならない。どうしてかというと、ヘレンにはまだ明かりがあるからというようなことを考えて自殺を取りやめる所で終っています。洞窟の中にいると気持ちがいいとか気分が収まるとか、魔よけの石自体いまどき大事にされるなんて考えられませんが、最初の3作くらいと最後の1作だけが、どうしてもケルト的な妖精の話とか、そういうものに関わっているような気がしてなりません。

最後に
 本当はもう少しいろいろ分析をしてお話をした方がいいと思いますが、あまりに横文字を出してもいけないと思いますし、評論家の名前を出すのもそぐわないと思いますからたいへん大雑把な話になりました。『風と共に去りぬ』はご存知だと思いますし、スタインベックもご存知だと思いますから、そういう二人の作家とも先祖にはアイルランドの血が入っている、そういう作家がアメリカには非常に多いということです。アメリカ文学をみても、例えばラテン系の血を引いた作家が盛んだったり、ユダヤ系統の作家が盛んにもてはやされた時期もあります。今アイルランド政府は第2公用語は英語のようですが公用語としてゲール語、いわゆるケルト語を使っています。最近アメリカではケルト語で小説を書いた人がいるというようなことを聞きました。アメリカの文学だけじゃなくて風土の中にはケルトの血が入っていると思います。